福岡地方裁判所小倉支部 昭和33年(わ)963号 判決 1959年4月08日
被告人 三浦三郎こと韓三基
昭九・八・一〇生 無職
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、
被告人は遊人豊田保の身内であるが、昭和三十三年九月十九日頃右豊田及びその身内大島浩一郎、知人水ノ江正男等と共に小倉市東和町一丁目キャバレー「モナコ」に遊びに行き、翌二十日午前零時二十分頃同キャバレー玄関前に出た際、右水ノ江が自動車に乗り込んだ豊田に対しいきなり拳銃を突きつけ、これを奪おうとする豊田ともみ合いをはじめたため、被告人は水ノ江を制止しようとしたところ、同人から腹部を蹴られたので憤慨し、同キャバレー調理場から刺身庖丁を取り出し、右車内で豊田、大島と拳銃の奪い合いをして争つている水ノ江に対し殺意を以てその胸部を同庖丁で突き刺し、同人をして左前胸部刺切創に基く失血のため即死させて殺害したものである。
と謂うのである。
これに対し被告人並びに弁護人両名は、被告人は公訴事実の通りの日時場所に於て、自動車に乗り込んでいた豊田保が水ノ江正男からいきなり拳銃をつきつけられ救を求めているのを目撃するや、右豊田の生命の危険を感じ、直ちに水ノ江を制止しようとしたが、同人から腹部を蹴とばされ近寄ることができないので、豊田の生命を防衛するため無我夢中でキャバレー「モナコ」の調理場から刺身庖丁を取り出し、右車内で豊田及び大島浩一郎と拳銃の奪い合いをして争つている水ノ江の胸部を前記庖丁で突き刺したものであり(この点につき被告人は胸部を狙つたのでなく水ノ江の左腕を狙つたのが偶々胸部に外れたと主張する)被告人の本件所為はその兄貴分に当る豊田の生命を護るため己むを得なかつたもので、刑法第三十六条の正当防衛である、と主張し、
なお、被告人は右の場合被告人が豊田を助けようとすると、水ノ江において被告人に対しても攻撃を加える様子であつたので、被告人自身の生命に対する正当防衛行為でもあつたと主張する。
そこで審按すると、被告人の当公廷に於ける供述、被告人の検察官に対する供述調書二通、被告人の司法警察員に対する供述調書、被告人の司法警察員に対する自首調書、医師釆野浩志作成の死亡診断書、医師大塚量作成の鑑定書、当裁判所の証人豊田保・同大島浩一郎・同中村千登恵に対する各尋問調書、豊田保・大島浩一郎・中村千登恵・菊池辰己・池田徳政の検察官に対する各供述調書、豊田保・菊池辰己・石井順三・辛島和典・池田徳政・穴瀬ミツ子の司法警察員に対する各供述調書、大島浩一郎・中村千登恵・飯田今朝男・菊池辰己・川原よし子・山根将男の司法巡査に対する各供述調書、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の実況見分調書二通、警視野口竹夫作成の殺人事件現場鑑識結果回答、警視野口竹夫作成の物品鑑識結果についてと題する書面、警視中津留幸則作成の鑑定結果についてと題する書面(鑑定書添付)、検察事務官作成の水ノ江正男に対する前科調書、領置に係る刺身庖丁一本、拳銃一挺、拳銃実弾三発、拳銃不発弾一発(昭和三十四年(裁)第一〇号の一、五、六、七)の各証拠を綜合すると、被告人は豊田保の身内であり、昭和三十三年九月十九日午後八時過頃右豊田の保釈祝のため、豊田及びその身内の大島浩一郎等と小倉市大坂町一丁目ダンスホール「スターダスト」に遊びに行つたこと、同所で被告人の知人水ノ江正男(当時二十三年)が被告人等一行に接近し度い様子を示したので、豊田としては水ノ江に対しては一面識もなかつたが、同人が豊田の属する工藤組の配下川野克治の身内であり且つ被告人の知人と知つて、同日午後十時頃同所から更に同市東和町一丁目キャバレー「モナコ」に赴く際水ノ江をも誘い、同キャバレーで共にビール等を飲んだこと、軈てそれぞれ帰宅する為翌二十日午前零時二十分頃同キャバレー玄関前に於て、豊田の連れの中村千登恵が、同所に呼び寄せた五六年型トヨペット中型自動車の後部左側の扉から座席に先ず乗り、ついで豊田がその左横に乗車した際、水ノ江が身体を半分座席にのり入れるようにして豊田に馳走の礼を言うや否やいきなり如何なる理由からか審かでないが(恐らく遊人仲間の勢力争いかと推認される)、その右手に把持したブローニング自動装填式拳銃(昭和三十四年(裁)第一〇号の五)の銃口を豊田の腹部に突きつけざまその引鉄を引いて撃発行為に及び拳銃を発射せんとしたので、豊田は驚きこれを奪おうとして右手で拳銃を上から、左手で水ノ江の手首を握つて同人ともみ合いをはじめたこと、豊田の「拳銃」との叫び声を聞き被告人は水ノ江を制止しようとしたが、同人から足で、腹部附近を蹴られ近寄れないので、急ぎ同所より約二十米距つた同キャバレー調理場から刺身庖丁(前記同号の一)を持ち来つたこと、一方折柄車の運転台の横に立つていた大島は豊田を助ける為運転台に入り、そこから体を半分乗り出すようにして豊田と共に水ノ江の拳銃を上から掴むようにして銃口を豊田や自分に向けさせないように争つていたこと、斯様にして右車内で豊田・大島と拳銃の奪い合いをして争つている水ノ江に近寄つた被告人は再度同人を制止しようとしたが応ずる気配なく被告人を振り払うようにしたので、被告人は前記庖丁で相手の胸部を突き刺し、同人をして同日午前零時五十六分頃同市市立病院に於て左前胸部刺切創に基く肝左葉、膵頸部刺通及び門脈截断並びに右腎刺入による外傷性失血のため即死させたこと等の各外形的事実を一応認めることができる。
そこで、被告人並びに両弁護人主張の正当防衛の要件の存否につき前掲各証拠によつて認められる諸事実に徴しこれを判断することとする。
先ず、被告人が水ノ江の被告人に対する急迫不正の侵害に対し自己の生命身体を防衛すべく本件所為に及んだと主張する点について考察すると、前示のとおり被告人が庖丁をとりに行く以前に水ノ江が被告人を足蹴したことは窺えるが、被告人は態々現場を距つた場所まで庖丁を探しに行つたものであつて、既に被告人に対する現在の危険ありと認められないことが明白であるから、被告人のこの主張は採用の限りでない。
次に、被告人が豊田保の生命を防衛する為本件所為に及んだとの被告人並びに両弁護人の主張について考えてみることとする。
第一に水ノ江の豊田に対する「急迫不正の侵害」の存否を考察すると、前示認定の通り、水ノ江が車中の豊田に対し突如実弾五発の装填された拳銃の銃口をその腹部に突きつけてその引鉄を引いた所為は、その攻撃に用いた兇器の種類、攻撃の態様からみて明かに水ノ江の豊田に対する殺意を窺うに充分であり、まさしく豊田の生命に対する極めて強度な急迫不正の侵害であると断じ得る。
然し乍ら、右急迫不正の侵害は豊田、大島両名が水ノ江の拳銃を把持した手を掴んだ後もなお継続したと言い得るか否かを考えてみると、当裁判所の証人豊田、同大島に対する各尋問調書によれば、同人等は水ノ江の拳銃を把持した手を掴み自分達に拳銃の銃口を向けられないようにするのが精一杯で、水ノ江から拳銃をとり上げることができなかつた旨述べているところ、前後の状況から推して水ノ江が前記両名から右手を掴まれた後直ちにその銃口を豊田等に指向することは或は困難も伴つたであろうと思われるけれども、水ノ江はその右手を掴まれた後も、左手は未だ自由であつたもののようで掴まれた両名の手をふり放そうとし、またその拳銃銃口を豊田等に指向しようと必死で争つていたのであつて、然も水ノ江の指はいまだ引鉄より外されては居らずその弾倉には不発の初弾を除いても、まだ四発の実弾が装填されて居り、その場は狭く且つ天井の低い中型乗用車内で活動は著しく制約され、豊田は腰をおろしたまま立ち上ることができないのみか、むしろ水ノ江に押され気味で中村千登恵によりかかつた様な姿勢であり、然も右側の扉は閉ぢて居り、剰へ中村千登恵が閉鎖された扉側に坐つていて恐怖のため豊田にしがみつき、豊田としては脱出は不可能であり防禦活動も著しく妨げられて居り、また大島も運転台から後部座席に体を半分のり出した不安定な姿勢で豊田と同様その場所的条件に制約されて充分な活動ができないのに比すれば、水ノ江側の車の扉は開放されて居つて水ノ江の活動はそれ程妨げられて居らず(このことは当初水ノ江が自己を制止しようとした被告人を足蹴して近寄せなかつたことからも窺える)、比較的有利な態勢に在つたと認められ、又豊田は長期間の未決勾留から保釈されて約一週間後であり然も肺結核に罹つて居るのに反し、水ノ江は前科三犯(裡一犯は傷害)を有し、その背丈こそ一六三糎であるが体格は肥満型でしつかりして居りその身体には竜等の入墨を彫つている程の者であることが窺われ、これらの諸点から考察すると水ノ江の手を掴んでいたのが二人であるとしても、そのことは必ずしも水ノ江がすでに前記両名に制圧されていたと認むべきものでなく、却つて水ノ江は右両名を相手にし乍ら尚且つ拳銃を奪われては居らず、掴まれた相手の手を引き放そうとまさに必死の闘争のさ中にあつたこと(この点は医師大塚量作成の鑑定書により認められる水ノ江の右手第二指の傷痕から窺える)、即ち水ノ江は攻撃意志を放棄したとは認められずむしろ両名の手をふり切つて再度の攻撃を加えようと躍起になつていたことが推認され、これらの諸事実に徴すると水ノ江の豊田に対する急迫不正の侵害は、被告人が調理場より刺身庖丁を持ち来り本件所為に及んだ当時まで継続していたと認むべきである。蓋しこのことは水ノ江が一たび豊田等の手をふり放すか、そこ迄に至らずとも拳銃の銃口を豊田等に向けた場合のことを考えれば明かであろう。その場合水ノ江は必ずや豊田等に対し第二弾第三弾と拳銃の発射行為に及んだであろうことは、前記経緯就中水ノ江の攻撃意志、攻撃態様から推して充分首肯できるところである。
なお中村千登恵の司法巡査に対する供述調書中、水ノ江がその拳銃を奪われた後刺されて倒れたかの如き部分が存するが、右中村は検察官に対しても、当裁判所の証人尋問の際にもこの様な事実を述べた跡はなく、前記認定と対比すれば右供述部分はその儘は受け入れ難い。
因に、水ノ江の本件拳銃の初弾発射行為は、拳銃の撃針が破損しため不発に終つたものであり、爾後水ノ江が仮に攻撃を続行し第二弾第三弾の発射を試みたとしても、恐らく物理的には発射が不可能に陥つたであろうことは警視中津留幸則作成鑑定結果についてと題する書面(鑑定書添付)に徴し推認できるけれども、該事実は事後的にはじめて認識し得たことであり、水ノ江はじめ豊田、大島、被告人の誰も撃針の破損を知り得なかつたことは勿論、被告人や豊田等は狼狽せることと暗さ等のため初弾の不発に終つたことすら充分には認識していないのであろうから、本件に於ては飽くまで被告人はじめこれら関係者の当時の主観と次の様な水ノ江の行為との全体を対象としてことを論ぜざるを得ないものと考える。蓋し、撃針が破損したため物理的には発射が不可能であり危険性がなかつたとしても、真正なる拳銃に、実弾が装填されて居り、然も行為者において拳銃の不発に終るべきことを認識せず、これが発射意思を有する以上、法律的評価に於ては危険性のない所為とは言い難く、従つて右所為に対する防禦は、攻撃なきに拘らず防衛を為す所謂誤想防衛とは異るものと言うべきである。
第二に被告人の本件所為は豊田の生命を防衛する為の所為たるか否かについて検討すると、被告人の当公廷に於ける供述、同人の検察官、司法警察員に対する各供述調書の記載、その他前示認定の如く水ノ江の豊田に対する攻撃の経緯、態様、被告人と豊田との関係等に徴すると被告人が豊田の生命を防衛するため本件所為に及んだことは容易に肯認しうるところであり、たとえ被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書中被告人が立腹して水ノ江を刺した旨の記載部分が存しても前記諸事情から考えれば、被告人の所為が単なる憤激に発した仕返しとは認め難い。
また被告人の自首調書中に被告人が豊田の生命を防衛するため本件所為に及んだことが明確には記載されていないこと必ずしも被告人の防衛意志の存在を否定し得ないのも前示認定の諸事情から窺えるところである。
第三に被告人の所為が己むを得なかつたものかどうかについて考えると、叙上認定の通り水ノ江の豊田に対する攻撃は、その兇器の種類、攻撃の態様等から推して特別の障礙なき限り瞬時にして豊田の生命を奪うに足る極めて強力なものであり、然も水ノ江はその攻撃を続行すべく拳銃の銃口を指向しようとしたその掴まれた手をふり放そうとして必死に争つていたことを考察すると、かかる急迫な情況の下で被告人が豊田の生命を救う為何等かの防衛行為を為すべき必要は充分窺えるところである。唯被告人は水ノ江を刺身庖丁を以て刺していること、傷の部位が胸部であり、然も傷が二個存する様に見受けられるところ、かような強力な行為が水ノ江の本件侵害に対する防衛として相当であつたかを考究する。被告人は当公廷に於て、被告人が庖丁をとつて来て再び水ノ江を制止しようとした際同人が被告人をふり払うようにして左半身を外側に向けたのでその左腕を刺そうとしたところ左胸部を刺す結果となつた旨弁疏し、自首調書によれば何処を刺したか覚えない旨、実況見分調書中指示説明部分には胸か腹のあたりを刺した旨、司法警察員に対する供述調書によれば左腹部を刺した旨、検察官に対する供述調書並びに当裁判所の検証調書によれば当公廷に於ける弁疏と同趣旨の供述記載が各存するところ、医師大塚量作成の鑑定書により認められる水ノ江の創傷の部位、方向、水ノ江の豊田、大島両名との拳銃争奪に於ける姿勢の変化、被告人が本件直後水ノ江を病院に運搬していること等を考慮に入れると、あながち被告人の右弁疏を排斥もし難いが、よしんば被告人に於て相手が死ぬかも判らないことを知り乍ら胸部を狙つて本件所為に及んだとしても、豊田は結果的には幸に何等の創傷を蒙らなかつたが、前示の如く水ノ江の豊田に対する攻撃は単に拳銃の引鉄を引くだけで瞬時にたやすく相手の生命をも奪うべき最も強力な侵害であつたから、これに対する防衛行為も当然それに相応せる強力さが必要たることも蓋しやむを得ないところであり、なお水ノ江の刺傷は二個ではあるが、傷口が一個のようであり、前記鑑定書によれば被告人が水ノ江を一回刺したのちこれを完全に抜きとることなく更に刺したと推察される旨記載されて居り、被告人は終始一貫して刺したのは一回丈であると述べていることや、刺された際の水ノ江の姿勢の変化等を併せ考えると、被告人が水ノ江を反射的本能的に二回目を刺したか、水ノ江の姿勢の変化により二個の創傷を惹起したのではないか等の疑を懐かない訳にはいかず、被告人が水ノ江の左腕を狙い誤つて胸部を刺した場合は勿論胸部を狙つて刺したとしても、その所為をもつて過度の防衛に失したとは断じ難いところがある。即ち、被告人は一たびは素手で水ノ江を制止しようとして同人より足蹴されて制止が不成功に終つていること、水ノ江と豊田、大島の争つていた場所が天井低く狭隘でもはや被告人が入り込んで活動することの至難な自動車内であつたこと、またその場の薄暗かつたことや当時の寸秒を争う急迫性並びにこれに伴う被告人の心理的狭窄等を考えると、斯様な場合被告人に他の軽度な防衛方法を採ることを求めるのは極めて酷であつて本件具体的事案に適切でなく余りに事後的な形式論理的な観方であつて、左祖し得ないところである。
なお大島浩一郎の司法警察員に対する供述調書中、被告人が刺身庖丁を持ち来つたあと二、三十秒間も豊田、大島と水ノ江の拳銃の争奪を見ていた後水ノ江を刺した旨の記載が存するところ、真実かような時間的余裕があつたとすれば、既に客観的に水ノ江の侵害の「急迫性」が存しなかつたか又は被告人に他の適当な方法を採るべきことを求めねばなるまいが、大島は検察官に対し斯機な供述を為した跡は認められず、当裁判所の大島に対する尋問調書によると同人はさような余裕は存しなかつた旨述べて居ることが窺われ、前示認定の如き急迫な状況にあつたこと、及び大島自身水ノ江との拳銃の争奪に必死であつたこと等から推せば、さように認識する余裕があつたとは到底認め難く、恐らく車中の暗さ等から考えて被告人としては車内に於ける水ノ江、豊田、大島の位置姿勢等を知るため瞬間状況を窺い水ノ江を制止しようとした程度と解するのが合理的であろう。
更に蛇足ではあるが、本件被告人はじめ豊田、大島はいずれも所謂街の遊人仲間であり同人等の本件発生以後の各供述には細部に於て若干の変化も認められないではないが、同人等が特に前示認定事実の基礎となつた証拠を作為したと認むべき跡は見受けられない。
結局以上のような事実が認定され、然も他にこれを覆して当裁判所に被告人の所為を正当防衛でないとの確信を懐かせるに足る証拠もない本件に於て、被告人の所為は水ノ江の豊田の生命に対する急迫不正の侵害に対しこれを防衛するため已むを得ずして為したものと認むべく、刑法第三十六条第一項の正当防衛に該当し罪とならないから、刑事訴訟法第三百三十六条前段に則り主文の通り無罪の言渡をするものとする。
(裁判官 坂本義雄 平田勝雅 簑原茂広)